家に差し込む

光の中で

元気に遊ぶねねちゃん

ねねちゃんは生まれていなかったけれど

3月11日は

昔、日本の大きな地震で

たくさんの人がなくなった日でした。

 

震災の数年後に

「当時、1歳だった子どもが、見つかっていない親御さんの話」とかを見て

 

わぁ・・かわいそうだなと思いつつも

”見つからないなら、遠くから、祈るしかないかな”って

思ったパパがいます。

 

ごめんなさい。

 

ねねちゃんが生まれてくれて

こんなに元気に、愛されて育っていてくれて

一緒にいられることが、とっても幸せで。

 

万が一

ねねちゃんと、大きな地震で離れることがあったら

 

パパは、何度でもねねちゃんを探しに行くと思います。

年月が経ったら

少しずつ薄れて行く記憶もあるのかもしれないけれど

ねねちゃんのところに、何度でも行くと思います。

 

”縁起でもない”

 

と、思うかもしれないけれど

縁起でも何でもない悲しいことが

日常の顔をして起こるのも

1つの事実。

 

パパとママは

悲しい事件のニュースについて

時々、真剣に話し合います。

 

それは、

聞きたくないことだし

聞かせたくないことだし

知りたくないことだけど

 

 

ねねちゃんとの幸せな時間を大事にするために

必要なことだと思ってるの。

 

震災の話から、それてしまったけれど

パパとママは

ねねちゃんと一緒にいられる時間が

本当に幸せで

貴重です。

 

生きていてくれて、ありがとう。

 

 

震災で失われた大切な命が

大切にしている人の愛に包まれ続けますように。

 

黙祷。