生まれて100日経ちました

ねねちゃんが生まれて、100日が経ちました。

パパ部に、「生まれて何日」カウンターをつけておいたおかげで、

「あれ? 何日だっけ」って、数える必要がなく、便利。

 

生まれたばかりのねねちゃん

 

最近のねねちゃん

 

ねねちゃん、100日おめでとうございます。

 

 

最近、ママが口にする言葉で、とても嬉しい言葉があるの。

 

「このねねちゃんの顔の角度、おかあさんに似てる」

 

ねねちゃんは、今のところパパ似だから、

「パパにそっくり」と、言われることはある。

 

でも、パパのママに似ている と、言われることって、

ママからしかない。

 

ねねちゃんにとっては、おばあちゃんだね。

 

おばあちゃんは、ちょうど明後日の1月17日が、

6回目の命日。

 

おばあちゃんが亡くなったころは、

それだけが全てに色をつけているような、そんな気持ちになった。

 

見るもの全てに、思い出の色が重なって、

「あぁ、ここでオムライスを食べたなぁー」とか

「生きていたら、見せてあげたいなぁー」とか。

 

 

で、数年経つと、徐々に忘れていく焦りを感じるようになる。

しばらくは、「忘れないように」って、思った時期もあった。

 

 

でも、今は、

忘れることが供養だと思ってる。

細かいことは、忘れる。

母と過ごした記憶や、母の声や、顔は、

忘れようと思っても、忘れられないんだから。

 

エピソードを手放すと、

いろんな感情が濾過されて

存在と感謝だけが残る気がしてる。

 

母がいてくれて、よかったなぁ。

産んでくれて、感謝だなぁって

感じ続ける。

 

そして、

時々話題に出したり、

ちゃんと顔を出して忘れずに手を合わせたり

 

そんなことだけで、いい気がする。

 


「100日なのに、縁起が悪い」

と、ねねちゃんは思うかもしれないけれど、

100日だからこそ、大事なこと。

 

ねねちゃんのパパもママも、

いつか死んでしまう。

 

パパと、ママの、

とちらかが残されるかもしれない。

 

ねねちゃんにとって

パパやママがいなくなったら

とても寂しい思いをすると思う。

 

もちろん

パパもママも、ねねちゃんと一緒に長生きしたいと思うけど

死は、順番こ。

 

パパのパパ、ねねちゃんのおじいちゃんは

時々、こう言ってたの

 

 

「親不孝とは、

親に心配をかけること。

親より先に死ぬこと」

 

パパとママは、

ねねちゃんが成長していく様子を見られることが、幸せ。

 

ねねちゃんが生きているうちは

苦労もあるし、大変な時期もあるだろうけれど

幸せが続いているんだと思う。

 

 

だから

1日でも、長く、元気に生きていてね。

 

そして、パパやママがねねちゃんが大人になった後に死んじゃったら

喧嘩したこととか、

叱られたこととか、

だけじゃなく

 

笑いあったこととか、

楽しかったこととか、

色んなことは、ちゃんと忘れよう。

 

それでも、目をつむった時に思い出すことがあれば

それは、忘れられないことだから。

きっと、思い出の結晶なんだと思うの。

 

 

その、結晶だけを大事にして

「愛されていたんだなぁ」って

生きていってね。

 

 

ねねちゃんにも、

そう思える存在が産まれることを

祈っています。

 

100日おめでとう。

いつもありがとうね。