奥さんでも、婚約者でも、恋人でも、愛人でも、彼女でも
「この人が幸せなら、それでいい」って
思う瞬間って、あるじゃん。
よくいうセリフで
「君のためなら、死んでもいい」とかさ。
いや、思わないよ。
僕は、思わない。
だって、死んだら、幸せな時間が減るじゃん。
せっかく幸せなら、1秒でも長く一緒にいたい。
でもさ
最近、北の偉い人の動きとか
金色の髪の毛の偉い人の動きとか見てると
ピリッとする瞬間は、やっぱり、あるわけ。
で、
家の近くに
危険が及んだ時
やっぱり、
自分より、
ママより、
子どもに長生きしてほしいと、思ったりする。
正確には、表現が難しいけれど
一番は、ママに長生きしてほしい。
この方がいなかったら、
僕の人生は、成立しないから。
でも、ママは、
ママよりも、
子どもの長生きを望むのも、わかってる。
「大切な人の、大切な人を、大切にする」
というのが、僕の流儀だから
ママの大切にしている人を、大切にしたい。
もちろん、僕自身も、子どもがとても大切。
それに輪をかけて、ママの想いがのる感じ。
「大切な人の、大切な人を、大切にする」
って、無限連鎖だと思う。
ねねちゃんが大切だから
ねねちゃんのお友達も大切。
ねねちゃんのお友達も大切だから
お友達のお友達も大切。
まぁ、いいけれど。
ずっと前、ねねちゃんがいなかった時、
子どもがすでにいる大切な友達と話をしている時
「自分よりも、大切な存在がいるっていう感覚は、初めて」って
そいつが言ってたのを、思い出す。
その時は、全くわからなかったけれど
今は、わかる。
もちろん、
子どもが全てじゃない。
望まない人もいるし
望んでいてもできない人もいるし
そして・・
望まなくても、できて、悲しいことになる人もいる。
僕らだって、
子どもが生まれることを
2年前には、想像もしていなかった。
それでも、きっと幸せだったと、思う。
それが、誰であっても
「人生を寄り添える人」の大切さって
すごく大事だと、思う。
えーと
何が言いたいかというと
この文章を、僕らの子どもが読んでいたとしたら
もしかしたら、パパとママは
君のそばで
恥ずかしがりながら、苦笑いしているかもしれない。
でも
もしかしたら
君のそばに、いないかもしれない。
それはね。
君の幸せを、願わなかったわけではなく
君の幸せが、パパとママの幸せだって
どこか遠くで、安心しているんだと、思う。
君の命を、
僕らは、尊重したい。
そのためなら
きっと、死んでもいいんだと思う。
あ、でも、
こんな、食いしん坊な君の笑顔を
いつまでも、いつまでも、見ていたいから。
パパと、ママは、
死にたくないな
って、思った、夜でした。