君と生きる選択

娘のねねちゃん は、もう少しで4歳になる。

「三つ子の魂百まで」

ということわざがあるけれど

3歳までに育った環境がその後の一生を決めると言われてきた。

じゃぁ、その3歳まで
何度も何度も何を伝えるべきだろう。

英語の発音だろうか

お行儀よく待てる忍耐力だろうか

くちゃくちゃ音を立てない食べ方だろうか

僕は、そんなに多くのことを伝えることができない。

だから、たった1つだけ

娘に0歳からの3年間、そしてもうすぐ4年間

伝え続けてきたことがある。

「パパとママは
どんなことがあっても
君を愛してるよ」

僕の中では、ただそれだけ。

その副産物として、栄養素のことや健康のことがある。

世界中のパパを探しても
4歳になるまでの時間で言えば僕よりも家族の時間を過ごしている家族は多くはない。

自営業で飲食店を経営されているご夫婦とかであれば同じくらいかもしれないけれど

「仕事場 = 家族」ということで言うと

飲食店のキッチンよりも、僕の作業場は近い。

夜中に仕事をしていても
「パパァ、眠れなくなっちゃった」
と、自分の布団を抱えて仕事場にやってきては、パパの足元に敷いたクッションで寝てる。

娘が生まれてからは全ての出張を家族で移動するし
毎日の幼稚園の送迎も僕だけで送迎する。


「いいパパでしょ?」

が、言いたいわけじゃない。

「ほら、家族の時間が大事でしょ?」

が、言いたいわけじゃない。

いろんな選択肢の中でママだけでお子さんと向き合う人もいるし
家族と離れることが幸せにつながる家族もあるかもしれない

最近思ってることは

自分の幸せや豊かさを、自分で選択できてる?
自分が誰とどう過ごすかを、自分で決めてる?

ということ。

「水野さんは、WEBのスキルがあるから選べますよね」
「水野さんくらい、色んなスキルがあったらやるんですけどね」

そう言われることがある。

けれど、僕が自分の人生を決めたのは17年前の2003年くらいの時
母がパーキンソン病だと分かった時。

その時、僕は人形劇団の役者をしていた。

旅公園があると1ヶ月半 九州地方のホテルを渡り歩いて実家に帰ることができない生活だった。

その時に決めた。

「大切な人と、一緒にいたい」って。

そのために、何が必要かをずっと考えた。

23歳の僕が考えついたのが

「手に職をつければ、自宅で仕事ができる」

だった。

だからセラピストになろうと思った。
自宅サロンを開くために。

2012年に亡くなった母と晩年を一緒に過ごせたのは とても価値が高い時間だった。

母の足をマッサージして
習ったエステで母の顔をトリートメントした。

道路の途中で動けなくなった母を何度も迎えに行った。

それから色んな経験をしたし、人生に迷うことばかりだったけれど
自分の豊かさの軸は、固まっていた。

「大切な人と生きる選択」を、取れるかどうか。

家族よりも仕事が好きな人が、仕事に夢中になるのは、その人の選択だからいいと思う。
配偶者よりも他の人を好きになるのも、もしかしたらその人の豊かさにつながる岐路かもしれない。

「こうあるべき」と言う価値観を押し付けたいわけじゃない。

ただ

「こうじゃないはず」と言う時間を過ごす必要はない。

令和の時代になって
コロナの時代になって
テレワークの時代になって

「何が豊かか」をそれぞれが決める時代になった。
生きていく中で失敗も成功もあるし
嬉しいことも悲しいこともあるけれど

「どう生きるか」が選びやすくなってる時代だと思う。

君は、明日どう生きる?
僕は、明日も大切な人と豊かさを共有して生きる。

ベネッセコーポレーション 進研ゼミ・こどもちゃれんじ

 

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