子どもの”おもちゃ”としてのパパ

この日記は、子どもの”おもちゃ”としてのパパを賞賛するものではない。

おもちゃとしてではなく、友達として関わるという話。

 

ねねちゃんは、よくパパに声かけをしてくれる。

「パパ、おいで」

「パパ、一緒に遊ぼ」

「パパ、ごはんですよー」

 

遊んでいる中で、怒ることもある。

「パパ、言ったでしょ!」

「パパ、め!!」

「パパ、あっち行って! ママがいい!」

 

今日は、台風の中でかけてたので、帰ったら抱きついてきた

「パパァ〜、心配だった」

 

最近は、

娘を、子どもとして見ていると同時に

年の離れた友人として見ている部分がある。

 

昨日も、ママがダンサーレッスンで出かけていて、ねねちゃんと二人きりだった時は

二人で4時間くらい遊び倒した。

 

セーラームーンごっこもするし

ひとりミッキーマウスクラブハウスごっこもする。

パパ一人で、ミッキーやミニーやドナルドやグーフィーを演じ分けて、ねねちゃんに羊を探してもらう遊びだ。

 

ボールを投げあって、「受け取れなかったらごめんなさい」ごっこもやる。

受け取れなかった方が「ごめんなさーい」と言って、もう一人が「どういたしましてー」と言う。

別にそれを教えたわけじゃない。ねねちゃんがそう言いたかったみたいだから、そういう流れになっただけ。

 

正直、楽しいだろうなーと思う。

どんな遊び方をしても、否定されることなく、

「ねねちゃん、こっちの方がいいんじゃない?」と一緒に話し合う。

 

「遊んだら、片付けなさい!」というわけでもなく

「パパ、片付けていい?」と聞くと、「ねねちゃんも」と、一緒に片付けをしたりする。

そうではない場合も多いけれど。

 

 

友人として遊んでいる時、意識していることがある。

それは、本当はできるのに甘えた感じで「パパやって〜」と言った時に、打ち返すこと。

 

「ねねちゃんならできるじゃん。ねねちゃんやってよ」

 

と、必ずと言っていいほど打ち返している。

 

パパと一緒じゃないとできないことは、「いいよー」と、出来るだけなんでも答えるようにしてる。

できないときは、できない理由を必ず伝えてる。

「パパ、これからお仕事のお打ち合わせなんだ。ごめんね」とか。

 

 

一緒に遊んでいると、パパがおもちゃになる瞬間がいっぱいある。

それはそれでいい。パパをおもちゃにして遊ぶことが楽しいなら、それでいいと思う。

 

でも、パパは「一緒に楽しむため」にそうしている。

その中で、ねねちゃんが一方的に蹴ってきたり、甘え過ぎていたら、友人として怒る。

 

「パパ、そのやり方嫌だ。謝って!」

「ねねちゃん、パパが嫌なこと、わかってるでしょう? パパにごめんして!」

 

”ダメでしょ”と、叱ることは、あまりない。

よほど、ママを強く蹴ったり、お友達に嫌なことをしたり、度が過ぎてたりしたら、そうするけれど。

 

ねねちゃんが「これ、悪いことかな・・」とドキドキしながらやって見て、

パパが、「コラ、ねねちゃん」と近づこうとすると慌ててやめるので、まぁ、パワーバランスは取れているんだなと思う。

 

子どもに好かれようと思うと、パパは”おもちゃ”になっちゃう。

子どもに好かれようが好かれまいが、「そんなねねちゃんも、パパは大好き!」と思っていると、友人として接することができる。

 

ふと、そんなことを思った。

ベネッセコーポレーション 進研ゼミ・こどもちゃれんじ

 

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