林修先生もおっしゃっていたけれど、
「身を美しくする」と書いて、しつける。
ねねちゃんは、食事の前には「いただきます」が言えるし食後には「ごちそうさま」が言える。
ものを頂いたら「ありがとう」が言える。
先日、部屋が暗い気がして「電気つけようか?」と聞いたら、
「おねがいします」と、言ったので驚いた。
今日は、ママのお料理のお手伝いをしてくれたらしい。
「これ、ねねちゃんが作ったんだよ」と、ママがハッシュドビーフを出してくれた。
「えー! ねねちゃんが作ったの?」と聞くと、
「ねねちゃん、つくったー」と、嬉しそうに話してた。
「おてつだいした!」って、嬉しそうだった。
この「躾」って、生活習慣の中で、ジワジワと染み込んで行くものだと思ってる。
パパはよく、ねねちゃんに敬語を使う。
「ねねちゃん、どうされましたか?」
「ねねさん、どちらへ行かれるんですか?」
「あなたは、どうしたいんですか?」
「わぁ、素敵ですね。ありがとうございます」
自分のことを言われているときに
「ねねちゃん」でも
「ねねさん」でも
「あなた」でも
反応できるようにしたいなと思ってる。
最近、「パパこわい」が出てくるようになった。
基本的には、パパにもママにもベッタリで、
「パパ、あそぼ!」
「パパに会いたい」
と、言ってくれている。
ママのことも大好きで、何かあると「ママ抱っこ〜」とすぐにいう。
そんな中で、ねねちゃんに真剣に向き合う時のパパは、めんどうくさい。
朝起きて、「ねねちゃん、おはよう」と言ったのに返事がなかったら、
「ねねちゃんの”おはよう”が聞きたいな」と、何度かねねちゃんに問いかける。
「おはよう は?」って。
だんだんと、ねねちゃんの中で嫌になってくるので、泣いてママにすがりつく。
そうなったら、もうパパは言わない。
ねねちゃんを追い詰めることは、望んでいない。
できるだけ、ねねちゃんの気持ちに寄り添いながら、その中で、嫌にならないように、できるようにしてあげたい。
「じゃぁ、明日また”おはよう”って言おうね」って。
でも、ねねちゃんの中には、パパが怖いと映るので、「パパこわい」とママに泣いて話してる。
次の日、ねねちゃんはママの協力もあって、「おはよう」と言うことができた。
それでいいと、思ってる。
ねねちゃんのことを愛してるけれど、
「愛してるんだから、愛を返せ」とは全く思ってない。
自分のことを、「昭和生まれだなぁ・・・」と思うんだけれど、
パパはいつも優しいけれど、何か重大な時にどこか怖くて、
ママはいつもちょっと怖いけれど、何かあったら泣きつきたくなる
という、役割分担が好きだったりする。
いつも、ちょっとしたことでも、甘えて頼りたくなるのはママで、
何か、自分では処理できない深刻な悩みを、ここ1番の時に相談したくなるのはパパで、
って。
そういう構図に、憧れているところは、ある。
自分が、そうしてもらったから。
パパとママは、ねねちゃんから好かれるのが役割ではなく
ねねちゃんが、誰かから好かれるように躾けるのが、役割だから。
ねねちゃんが、パパのことを怖いと思っていても、「嫌い」と言ったとしても
パパやママがねねちゃんを愛してる気持ちには、全く変わりがない。
まぁ・・・・・
我が家の場合は、基本的には家族がベッタリだから
一緒に笑い合ったり、一緒にお出かけしたり、いろんな体験を家族でできている。
今日も、
「パパ、絵本読んで」と、膝に座ってきたり。
「パパのところ(我が家の仕事場)行く」と、部屋に入ってきたり。
ママとのチームプレイが、上手にできているなと感じてる。
ほんと、理解してくれて、一緒に取り組んでくれる、ママにいつも感謝。