夫婦での会話を、キャッチボールに例える場合がある。
問題提起に対して、そのアンサーがあって
それに対して、また会話が深まっていって。
「夫婦や、家族の会話がなくて・・」
という話をまれに聞くけれど、
それって、そもそものボールがないということなのかな。
わが家は、「会話がない」ということが、考えられない。
ねねちゃんも、起きていて、一人で何かに集中している以外は、だいたい何かを主張してる。
24時間同じ空間にいたとしても、何か新しいことを話してる。
例えば、
とか。
ついさっきは、
的な話だった。
実はわが家は、会話をあまりキャッチボールしていないのかもしれない。
「こう返して欲しい」という感覚が、あまりない。
もちろん、想定をしていたことが返って来なかったりすると、ぼくが主に拗ねることはあるけれど。
わが家の会話は、
ピタゴラスイッチ的な感じかもしれない。
過程はどうでもいいし、意外な方向性に行くのも、あり。
でも、結果としては、この会話のボールをつかって、この旗をピョコンって立てたい。
みたいな。
どこに着地するか、ということは、だいたいの共通認識としてあると思う。
早く答えを出したい時は、「まぁ、なんだかんだで、こうだよね」と、
突然、旗を立てることもあるけれど
何気ない会話をしながら、ボールがあらぬ方向に飛んでいっても
まぁ、それはそれ。
結果的に、共通の目的が確認できれば、それでいい。
仮に、共通じゃなかったとしても、
「そうか、そのルートを通って、その旗を立てたかったのか」と
オウンゴールをしても、問題ない。
過程で、拗ねたり口論になったりすることはあるけれど
それがあるからこその、ピタゴラスイッチだと思う。
つい最近も、ぼくが2回くらい勝手に拗ねた。
パパ 「最近、仕事がこういう感じに回ってきて、なんか一生懸命作ってきた大きな歯車が、回ってきた気がする」
ママ 「・・・・・まぁ、なんか大きな水車を作ってるんだなぁ〜とは、感じてたけれど、みんな何に使う水車なのか、わからないよね(笑)
わたしの生活に、それって、関係あるの? って、思ってるよね」
なるほど・・と、思った。
ぼくが、一生懸命、夢中で、「みんなの役に立つはず」と思って作っていたとしても
それを表現していなかったら、山の上で村のために何かしてる、変人のおじさんだよね・・・と。
拗ねるを通り越して、的確だなと笑ってしまった。
もう一回は、
パパ 「今さ、こういうことに取り組んでてさ」
ママ 「・・・・それって、3ヶ月前くらいから言ってることと、変わってないよね」
パパ 「う・・・・・」
わが家は、そんな感じ。
色々と、飽きない。
そうそう、今日はこんなことがあった。
ママとねねちゃんが出かけた後、洗面所で歯磨きをしようと思ったら・・・・
歯磨き粉の、キャップが閉まっていない。
キャップはどこだろう?
周りを見渡しても、キャップは見当たらない。
そこで、ママの思考回路を追跡する。
ここに歯磨き粉の本体があるのに、キャップがないということは
急いで歯磨き粉をつけて、片手にキャップを持ったままどこかに移動したはず・・
ということは・・・・・・・
と、探して行くと
キッチンの片隅に落ちていた。
こんなことは、毎日のようにある。
毎日は言い過ぎたか、1週間に2回はある。
ママの思考回路を追跡して想像して、
「ここにあるはず」と思って探して行くのは
宝探しみたいで、意外と楽しい。
意見や考え方が違うからこそ
毎日が楽しいのかもしれないよね。