ねねちゃんの肘の骨が折れた

ねねちゃんの肘の骨が、ちょっとだけ折れた。

 

パパ部は、ママのお友達も見てくれていると思うし

ママが上手に説明できないかもなので、テキストにしておく。

 

原因としては、ねねちゃんがイスから落ちたこと。

結果としては、いわゆるポッキリ折れるタイプの骨折ではないけれど

肘の関節あたりの骨に、わずかなズレが見られるということから

今後の腕の変形を最小にするために、

今は腕をくの字に曲げたギプスをしているということ。

 

ねねちゃんが落ちて1時間以内に

めちゃめちゃ大きな医療センターで確認をしたけれど、捻挫とか脱臼とかではなく

ジャンルとしては「骨折」という扱いになるらしい。

どんな小さなことだとしても、早めに対処できてよかった。

 

 

そして、病院に行く前と、レントゲンやCT撮影の間は、

「イタイ イタイ」と、収拾がつかないくらい泣いていたのに

病院から帰った後は、パパとママに、それぞれ抱きしめられながら

笑ってすぐに寝たということ。

 

ドライな言い方をすると、このくらいの怪我ですんでよかったなという感じ。

後遺症が残るタイプの怪我でもないし、3週間はギプスみたいだけれど、成長しても辛い状況が続くものでもないのは、ありがたい。

 

だから、ねねちゃんのことを心配して欲しくて、書くわけではない。

むしろ、「痛かったねぇ」というと、痛いということを思い出すので

本人が苦しそうな時以外は、「ラッキーだね」と言うようにしてる。

 

この記事を読んだ後に、ねねちゃんを見かけたら、

「頑張ったんだねぇ! ねねちゃん、強い子だったって、パパとママが言ってたよ」と

声をかけてあげてほしい。

 

 

レントゲンの時も、

「ねねちゃん! いっぱい写真撮ってもらえるって! やったね。

ねねちゃんの骨、キレイキレイ言ってもらったね よかったね」

 

CTの時も

「ねねちゃん! よかったね。パパも見たことないねねちゃんの内側を見てくれるって!」

 

と、耳元で声かけするようにしていた。

病院の後半は、痛みやパニックも収まったのか、

「あ、バス!」と、元気に大声で話してた。

 

ねねちゃんは、簡単なギプスをしているけれど元気だし

パパもママも、大丈夫。

 

でも、今日の体験を通じて、「あ、これ大事だな」と思ったことを、共有させて欲しくて、書いた。

 

ママと子どもを大切にするパパに

そして、これから怪我をする可能性を持っているお子さんをもつ「パパ」に

「パパ部」として伝えたいことは、1つだけ。

 

繰り返すけれど、ママに伝えたいことではない。パパに伝えたいこと。

 

 

大切なことは

一番最初の段階で、「ぼくが悪い」と、腹の底から決めることだ。

 

 

 


例えば、仕事先に電話がかかってきて、「子どもがイスから落ちて、痛がってる!」と、ママから電話がかかってきたら。

状況の緊急性を確認したあと、男性の脳は、「誰が悪いか」を、つい探したくなる。

 

男性脳は、調和よりもターゲットを決める構造が原始的にあるので、「原因と対策」を瞬時に構築できる脳の構造になっている。

 

「なんで、しっかり見ていなかったの!?」

「お前が付いていながら、なんでこうなるの!?」

 

と、思いたがる脳を持っているけれど

そう言うのや、態度に出すのは、一切禁止。

 

どんなママだって、子どもを怪我させたいなんて一ミリも思っていない。

どんなに平気な顔をしていても、子どもが苦しんでいる様子を見て自分を責めないママはいない。

 

 

対策として、「今度、同じことが起きそうだったら、どうするか」とかは決める必要があるし

どういう状況だったのかは、把握しておく必要はあるけれど。

 

それは、誰かを犯人にするためじゃない。

全部、自分が悪いと、最初に決める。

その上で、少しだけの「反省点」を、分配する。

 

一人で抱え込むだけでも、周りが苦しくなるし

少しだけ周りを責めた方が、楽になる場合もあるから。

 

今回の場合は、通っている幼児教室のキャンセルの電話は、ママの仕事にした。

「それは、ママがかけなさい」って。

 

 

人の感情は、弱い立場に流れる。

パパが、ママを責めたら、

ママは、子どもを責める。

言葉足らずだった。

ママが「弱い」と言うことではない。

専業主婦をしていると、どうしても「パパのおかげ」とパパを尊重してくれるようになる。

そうすると、意図していなくても力関係が少しずつできてくる。

パパを養っているママの場合は、立場は逆かもしれない。

 

パパがママに、「どうして見てなかったんだ!」と、言ったら

ママの感情の中には、「この子がこんなことをするから」が、残る。

 

 

表現として、

「イスで遊んでたねねちゃんが悪いな。ねねこが『ブー!』だな」

と、ねねちゃんには、笑いながら言った。

誰かをかばうだけでなく、ちゃんと原因と結果に向き合うのも、大切なことは大切。

 

でも、

少なくとも、ぼくの中では

ねねちゃんが痛がっている様子と

ママの様子を見て

電話をかけながら、腹に落としていた。

 

これは、ぼくが悪かったんだ と。

 


これから、小さな子どもが自分の見ていないところで怪我をしたパパは

最初は気持ちが落ち着かないかもしれないけれど

「あ、ぼくの気持ちが落ち着いていないな」と感じるくらいに冷静になったら

 

ママに、「ごめんね、全部任せてしまって」って、最初に言うべきだと思う。

子どもにも、「痛い思いをさせて、ごめんね」と、最初に言うべきだと思う。

 

それは、「できたパパ」を演出するためだ。

そう、演出すればいい。

 

ぼくなんて、本当に気が小さいし、人を責めたくなるし、小さなことでイラっとしてばかりだ。

それを救ってくれているのは、ママとねねちゃんだ。

だから、「できる自分」を、演出してるし、プロデュースしてる。

 

 

人は、アンコントローラブル(制御不能)な状況に弱い。

お化け屋敷が怖いのは、制御できないからだ。

きっと、お化け屋敷を作る側になったら、制御して怖がらせるのが楽しいんだと思う。

 

子どもの怪我は、医者でもないパパには、制御不能だ。

これが、どんな展開になるのか、

どのくらいのお金がかかるのかも、制御不能だ。

 

でも、

自分のせいだと決めたら、自分の責任は制御できる。

だから、ほんの少しだけ、冷静になれる。

 

 

これが、さらに大きな事故だったら、今はわからないけれど。

その時はその時で、もう一度自分の魂に向き合ってみる。

 

 

今日、たまたま、ねねちゃんの肘の骨が折れた。

ねねちゃんは痛かったし、辛い思いをさせてしまったけれど、

このことが、我が家に新しい可能性とハッピーを呼び込まないわけがない。

 

治ったら、シェラリゾートに行って、お祝いだね。

 

白馬のシェラリゾートは、子どもと一緒に楽しめる大人の空間

 

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