叱り方の葛藤

この日記を書いていて、何度も葛藤をした。

 

書くことで、誰かを傷つけるんじゃないだろうかとか。

書くのは、自分がほめられたかったり、「良いパパですね」と言われたいだけなんじゃないだろうか・・とか。

 

書いては消したり、下書きにして時間を置いたりしてみたけれど

自分の考えの整理のためにも、

そして何より、僕と関わってくださる方に対して、僕はこういう姿勢で子どもと接しているということをお伝えするためにも、書いておこうと思った。

 

これを読んで、

「そういう叱り方はやめて欲しい」と思ったら、ぜひ指摘してほしい。

出来るだけ自分の態度を見つめ直したいと思う。

 

大前提として、僕は我が家に来てくれる子どもたちが大好きだ。

そして、僕らに関わってくれる家族の考え方や生き方を、僕なりに尊重していきたい。

 

その上で、ぼくの価値観や叱り方について、共有できたらと思う。

 

 


我が家は時々、リラクゼーションサロンになる。

そんな時は、ママとスタッフさんがお仕事場にこもるので、

ねねちゃんと、スタッフさんの子どもが僕の仕事場にやってくる。

 

一緒に折り紙を折ったり、ジャングルジムで遊んだりもするけれど

ちょっと疲れてきたかな?と思ったら、映画を見てもらって、僕は仕事に戻る。

 

 

今日は、叱り方について葛藤をした。

 

男の子のあっくんは、やっぱり男の子らしい部分があるので、時々ねねちゃんを突き飛ばしたりする。

ねねちゃんはねねちゃんで、内にこもる部分があるので、何かされても自分の世界に一旦入り込もうとする。

 

そんな二人のやりとりを見ながら、パパは基本的には干渉しない。

声をかけられたり、助けを求められたり、「叱った方がいいな」と思ったら、声をかけるけれど。

 

子どもは子どもならではの世界で学んでいくので、そのルールにむやみに干渉しない方がいいと思っている。

ただ、「自由にする」のと、「野放しにする」のとは全く違う。

出来るだけ全員に目が届くようにして、何かあった時はすぐに対応できるようにしてるつもり。

 

子どもの成長を木に例えるなら、今は根と幹をしっかりと作る時期だと思う。

野放しにのび放題にしてしまうと、大きく成長しないし、のび放題になった後にいくら剪定をしても、幹は変えられない。

かといって、手をかけすぎても、小さな器に収まってしまう。

 

自由に成長しながらも、「そっちの方は、行かないでね」という部分はきちんと剪定をするというスタンスを取るようにしてる。

 

だから、叱る部分はいつも悩む。

 

 


今日の出来事は、こうだ。

 

最初に、二人でちょっとだけモノを取り合いになった。

二人で取り合いっこをしているうちに、押し合いになって、男の子がねねちゃんを突き飛ばした。

 

幸い、倒れる先には歩行器があったので、頭を打つとかはなかった。

尻もちをついた程度だ。

 

「どうするかな・・?」と、見ていた。

ねねちゃんが泣いたら、すぐに駆けつけるつもりだった。

 

でも、ねねちゃんは泣かずに、少しじっとしていた後、

「お怪我しちゃった・・・」と、呟いただけだった。

 

その後、男の子が僕のところにやってきたので、

「今、ねねちゃんのことを押しちゃったでしょ。

ねねちゃん、痛かったかもしれないよ。

押さないようにしようね。

ごめんねって、言っておいで」

 

彼はすぐに、「ごめんなさーい」と謝った。

 

 

断っておくけれど、

 

僕の中の文化では、どちらが良いとか悪いとかじゃない。

押した方が悪くて、押された方がかわいそうとは思っていない。

小さな怪我なら、怪我をさせた方が悪くて、怪我をした方が正しいとも思ってない。

大きな怪我は違うけれど。

 

当事者の二人がどう思っていて、どう処理するかの方が大事。

その処理の中で、客観的に見て間違いがあれば、必要に応じて剪定すれば良いと思う。

 

そういうケースをいくつも超えていくことで、人に対してどうするべきかが養われるはずだし、

自分がどう生きたいのかが形作られていくと思う。

 

だから、子ども同士の小さな揉め事は、僕ら家族にとってはすごく貴重だ。

属性としては人タイプのねねちゃんは、人との関係性の中で生きていくことになると思う。

 

一人っ子のねねちゃんは、彼女が処理できる範囲の中で、悔しい思いや切ない思いをたくさんしてほしい。

いっぱいいっぱい、心を耕してほしい。

 

 


さて、本題はここからだ。

ねねちゃんと、あっくんの、2回目の衝突の時。

 

部屋の中のジャングルジムで、スペースの取り合いになった。

「どいて!」

「どーいーて!!」

お互いに主張しあって、身体を押しあった。

 

部屋の中のジャングルジムの2段目の上なので、もし落ちたとしても大きな怪我はないだろうと思って見守っていた。

 

何度かの押し合いの後、あっくんがねねちゃんの顔を引っ掻くように叩いた。

せきを切ったように、ねねちゃんが泣いた。

 

 

どういう過程でそうなったかを全部見ているから、いきなり叱ることが選択肢に入ると思っている。

これが、なぜそうなったかを見ていなくて、ねねちゃんが大泣きしたのなら、いきなりどちらかを叱ることはまずない。

「どうしたの? 何があったの?」から入ると思う。

 

 

今回は、すぐにねねちゃんを抱きしめて、あっくんの腕を押さえつけた。

「叩いたら、ねねちゃん痛いでしょ!」

 

叱られて、あっくんも大泣きをする。

 

僕は、子どもを叩くことは無い。

けれど、手を緩めることもない。

 

 

一番ダメなのは、叱ると決めた後に子どもの出方を伺うことだと思っている。

 

なぜかというと、子どもは空気を察する天才だからだ。

「このくらい泣けば大丈夫」

本能的に、それを察することができると、僕は思ってる。

 

だから、怒るときは理論じゃなく、いきなりねじ伏せるように怒るようにしてる。

女の子と男の子では、感情の育ち方も違うので、叱り方の加減は変わるけれど。

 

 

 

今回は、あっくんの腕を掴んで、身動きを封じた。

大泣きするあっくんに、言葉をぶつける。

 

「叩いたらねねちゃん痛いでしょ!

ねねちゃんに謝りなさい!」

 

嫌がるように身体をくねらせて逃れようとする彼を、逃がさない。

叱りながらも、慎重に彼の目を見て、判断をし続ける。

 

彼の目がただただ怯えてしまっていたり、

「わかってほしい」という主張だったりしたら、

すぐに手を緩めてあげないといけない。

 

 

この辺りは、主観が入ってしまうので、間違いなくそうだとは言えないけれど

彼が赤ちゃんの時から、何度も何度も抱きしめて、一緒に遊んで、向き合ってきているから

彼のことが可愛くて仕方がない分、彼の甘えやわがままも少しはわかるつもりだ。

 

言語化するのは難しいけれど、

頭の中に浮かぶフレーズの中で、近いものは

 

「お前、調子に乗るなよ」

 

かもしれない。

もちろん、口には出さないし、そう伝えたいわけじゃないけれど。

ニュアンスとしては、それに近いのかもしれない。

 

 

途中で、「ママぁ〜ーー!!」と叫んだり、大きな声を出したりするけれど

「泣いても関係ない。謝れ」と、力を弱めず掴み続ける。

 

 


叱ることで、彼を服従させたいわけじゃない。

叱らないことで、彼に好かれたいわけでもない。

 

言葉だけ謝ってほしいわけでもない。

謝ったから正解ということでもない。

懲らしめたいわけじゃない。苦しませたいわけじゃない。

 

 

「お前、ダメだぞ」

 

が、伝わればそれで良い。

 

 

 

なんというんだろう・・・

ドキっとする感じ。

ギクッとする感じ。

 

その感覚を、伝えたい。

その感覚が伝われば、それで良いと思う。

 

 

徹底的に叱られたことがある人の方が、

いざという時に強いと、ぼくは思っている。

 

その理不尽さ、その怖さ、その不快さを知っていることで

心の中の、表面から見えない根っこのような部分の成長があるんじゃないかと思ってる。

 


何れにしても、あっくんの両親を信頼していないと、彼を叱ることなどできない。

きちんと人間関係があって、

きっと僕がただ叱っているだけだと思うことはないだろう・・という信頼のもとで、叱っているつもりだ。

 

けれど、それでも叱るときは慎重になるし

叱った後は、いつも「どうするのがよかったかなぁ・・」と葛藤する。

 

僕の中にも正解はない。

正解がない以上、模索しながら彼らと向き合っていく必要がある。

だから、自分の感情に対して言い訳をしないように、叱っているつもりだ。

 

それが、自分の娘や、あっくんや、

関わってくださる仲間の人生に向き合うということに、繋がっていると僕は思ってる。

 

 

「人を傷つけない良い子」になる必要はない。

「人を傷つけてしまったとき、自分と相手の心に向き合える子」になって欲しい。

 

そんな大泣きした後でも、二人は仲良しでした。

二人とも、大好き。愛してる。

 

ベネッセコーポレーション 進研ゼミ・こどもちゃれんじ

 

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