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常在菌とともに生きる

ねねちゃんは、毎朝のように公園に行く。

雨の時とか、起きるのが遅くなった日とかは、いかないけれど

どちらかというと、ねねちゃんの方が「いこっか!」と、靴を履きたがることが多い。

公園に行って、落ちているボールを抱きしめてみたり

公園の水道の水を、少し飲んでみたり。

 

朝日を浴びながら、蚊に刺されながら、走り回ってる。

 

 

「子どもを守るのが、親の務め」だとは、思う。

 

けれど、何から守るのかというと、

未経験から起こる事故からは、守る必要があると思ってる。

 

最近は、人にも気をつけなければいけないけれど、

今のところはねねちゃんと離れることはないから、まずは日常の身体的なことから。

 

 

道路を飛び出したら、危ないとか

高いところから身を乗り出したら、危ないとか。

坂道を走ったら、転ぶとか。

 

 

それは、経験をしていないからだと思う。

 

だから、

「未経験から起こる事故」から守るためには、

安全を見守りながらも、「未経験」を減らすことが親の役割なんだと思ってる。

 

公園の水道は、とてもありがたいライフラインだけれど

衛生的には、どうしても必要な時以外は避けたい。

 

でも、無菌状態で育てて、小学校で学校の水を飲んだらすぐにお腹を壊す子にしたくもない。

だから、今のうちにできるだけ常在菌にはふれさせてる。

いわゆる、「ばい菌」も経験させてあげる必要があるんだろうと思う。

 

僕らだって子どもの頃は、泥遊びをしたり、田んぼに裸足で入ったりしてたわけだし。

そこにいる菌に対する免疫は、早めにつけてあげたい。

 

 

今日、ねねちゃんは、石畳の下り坂で、3回も転んだ。

転ぶのはわかっていたので、怪我にならない程度のスピードと体制で。

 

 

「転ばせておけばいい」ということではない。

かといって

「転ばないように守ればいい」ということでもないと思う。

 

どのくらいのスピードで走ると、どのくらい痛いかは、

早めにいっぱい経験をしてもらいたい。

今の身体のサイズなら、自重もそこまで重くないので、少し擦りむくくらいですむ。

 

 

あと、転んだ時に、パパからは手をかさない。

多少 泣いていても、少し動かなくても

そばにしゃがんで、声をかけて見守る。

 

「痛いねぇ。

大丈夫、ねねちゃんは立てる子。

大丈夫。ねねちゃんは起き上がれる」

 

転ぶ瞬間を見てるから、痛くて起き上がれないわけじゃないのは、わかってる。

自分の中で、転んだことを頭に記憶する時間は、この時間しかない。

だから、ちゃんと頭の中で処理してもらう。

理解するまでの時間は、ねねちゃんは立たないのもわかってるから。

 

もちろん、転んでいる時に「抱っこ!」と言われたら、抱きかかえるつもりだけれど

今のところ、めったに言わない。

パパは、そういう時は抱っこしてくれないのは、わかってるんだろうなと思う。

 

自分で起き上がって、まだ泣いているようだったり、痛そうだったら

すぐに抱きしめる。

「痛かったねぇ。でも自分で立てたね。ねねちゃんは強い。えらいね」って。

 

 

子どもの専門家じゃないから、わからないけれど

転んだ時にすぐに抱きかかえると、

「転んだら、抱きしめてもらえる」ということが、脳に刷り込まれ続けると思ってる。

 

どちらかというと、

「転んでも、そばで見守ってくれている」という安心感や

「自分で処理をしたら、褒めてくれる」という達成感の方を、感じて欲しい。

 

だからこそ、ねねちゃんとの信頼関係が、大前提に必要。

愛されていることを感じていないのに、転んだ時に放置をされたら、きっと悲しいだけだもんね。

 

毎日、パパとママは

「ねねちゃんのことが大好き」と、言い続けてる。

何かあったら、とかじゃなく。

笑うだけでも、歌うだけでも。

 

 

今日、硬い石畳で3回転んだのを見て、ふとそんなことを考えていた。