ねねちゃんには、「ルールを守る人」にならないで欲しいなと思う。
かといって、「ルールを破れ」ということでもない。
「ルールが、守っていることを、守る人」になって欲しい。
今日、いつも遊んでいるおもちゃのトマトを、コマにして遊んだ。
本当は、お料理に使うもの。
教育としては、「お料理するもので遊ばないでね」が、正しいのかもしれない。
でも、
こんな角度もある。
こんな方法もある。
って、物事をいろんな角度から見られる人になって欲しい。
みんなが、ルールの中で真っ直ぐ進もうとしているときに
「ちょっと遠回りだけれど、こっちの方が安全だよ」って
言える子になって欲しい。
信号を守るのは、すごく大事。
赤信号では、飛び出してはいけません。
ルールを守るなら、赤信号は止まっていなくてはいけない。
でも、
信号が守っているのは、そこにいる人の安全と命。
信号の向こう側で、おじいちゃんがいまにも歩道に飛び出しそうになっていたら?
信号に向かって、フラフラした車が猛スピードで近づいてきたら?
信号が守っているものは、ルールじゃなくて、人の安全と命。
信号のいうことを守るんじゃなく、
それが守りたいものを、守る人になって欲しいなと思う。
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余談だけれど
パパは、30歳を超えたくらいから、信号無視をしたことはほとんどない。
信号がない道路を、ヒョイっと渡ることはあるけれど。
信号があるなら、必ず信号が変わるまで待つ。
明らかに、車が来ない道路でも
明らかに、周りの人たちがどんどん渡ってしまって、待っている方が恥ずかしい立場になったとしても。
それは、誰かが決めたルールを守っているからじゃない。
僕が、「信号は待つ」と、自分で決めたルールを、他人や環境で変えたくないからだ。
この時の「ルールが守っているもの」は、自分の意思。
小さなことだけれど、小さな意思の積み重ねで、魂は作られてる。
だから、信号は僕にとって、貴重な意思磨きの交差点だ。