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プール遊びから見る 子どもの力関係

ちょっと前(1ヶ月くらい前)になるけれど、

うちから歩いてすぐのところにあるママの実家で

プール遊びをさせてもらった。

 

せっかくなので、お友達のご家族も呼んで、みんなで。

こうやって、一緒に遊べる同年代の子どもがいてくれることが

一人っ子を持つ親としては、何よりも嬉しい。

 

こういう時に、子ども同士のささやかだけれど深刻なせめぎ合いを見るのも、すごく貴重。

 

自分のおもちゃだぞ! と、主張をしてみたり

隙を見て、取りに行ってみたり。

 

もし、ねねちゃんが力関係的に劣っていたとしても、優れていたとしても

ギリギリまで、見守るようにしている。

 

ねねちゃんのパワハラで、相手のママが明らかに嫌な顔をしていたら、

すぐに止めるけれど。

 

ねねちゃんが、相手の子のパワーに気圧されているときは

パパは、すぐに止めれる距離で見守るけれど、ノータッチ。

 

「ぜったいに、それはダメだよね」というときしか、止めに入らない。

 

この理不尽さを、早く、いっぱい経験して欲しい。

おもちゃを取られて悲しい。

おもちゃを奪って嬉しいけれど、なんだか少し気を使っている。

 

そんな、ささやかな心の機微って

人格形成に、すごく大事なことだと思っている。

 

「パパが怒るから、やめよう」では、意味がない。

 

「パパ・・いいの? ダメなの?」と、不安そうに見るねねちゃんを

見ているんだけれど、「関心がないよ」というそぶりを見せながら

 

ねねちゃんは、どう判断するか を、常に問いかけている。

 

 

もちろん、善悪の判断が形成しきっていない子どもにとっては

大人が判断の道筋を作ってあげる必要は、ぜったいにある。

 

でも、「過程」で叱ってしまうと、何が良くて、何がいけなかったのか、判断ができない。

恐る恐る、相手から取り上げようとしている途中で叱ってしまうと、

「恐る恐るなのがダメなのかな・・」と、判断されかねない。

「それは、相手が悲しくなっちゃうよ」というのは、直後に言わないといけないと思ってる。

 

ねねちゃんが、選択した「結果」で、注意をしたり、褒めたりするようにしてる。

 

そんなことも、お友達がいてくれるから、考えられるし、気づけること。

ご縁をいただけることに、感謝感謝。