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人形劇と、子育て

ご存知の方もいるとは思いますが

僕は、人形劇の役者をさせていただいていました。

 

といっても、アルバイトから含めて

トータル2年ほど。

 

業界の中で、賛否はあると思うけれど

僕にとっては、その時の劇団の代表が、人生の中で、唯一の「師匠」です。

 

人生の中で、師匠と呼べる人はその人だけ。

僕は、裏切るような形でやめたので、

やめてから一度も、お詫びはできていませんが。

 

人形劇役者って、

演技のプロだけじゃ、ないんだと思う。

 

芝居全体も、そうなのかもしれないけれど

「人の専門性」が、高い人なんだと思う。

 

”人のプロ”というと、なんかニュアンスが違う気がした。

”人のことを、いつも考えている人”なんだと思うの。

 

この表現は、相手にどう映るのか

この演出は、どういう意図があるのか

 

そんなことを、未熟ながら、

毎日のように、勉強させていただいていた。


 

印象的な話の1つが

「嘘を嘘で上塗りするな」

 

というものがある。

 

大人はつい、子どもに人形を見せる時

「人形が本当に話しているみたい」な演出をしたくなる。

 

でも、子どもは、

大人がぬいぐるみを動かしていることを、

とっくに知っている。

 

その、嘘の中で、遊ぶんだ

 

と、教えてもらった。

 

当時は、半信半疑だった。

 

でも、最近、

娘のねねちゃんがぬいぐるみを操り始めたのをみて、確信してる。


うちでは、

ミッキーマウスのぬいぐるみと、

しまじろうのぬいぐるみが、

よく、パパの力を借りて、ねねちゃんにちょっかいを出す。

ギャン泣きしているときに、

パパやママが、「どうしたの?」と聞いても

泣き続ける中で

 

しまじろうとミッキーが、

「あれ・・・?
ねねちゃんが、泣いてる。
何かあったのかなぁ。」

「うん、きっと、何かあったんだね。
何に困ってるか、聞いてみよう」

 

と、相談しながら、ねねちゃんに話を聞きに行く。

すると、しまじろうとミッキーには、

まだ言葉にならない言葉で、気持ちを話し始める。

 

大事なポイントは、

直接、いきなり人形が聞かないこと。

 

前提条件を作ってから、

本題に切り出すようにしてる。

 

この場合は、

「しまじろうとミッキーが、ねねちゃんのことを心配してる」

というのを、ねねちゃんが認識してから、

ねねちゃんに話を振るようにしてる。

 

 

その時は、しまじろうとミッキーの目を、ちゃんとみてる。

しまじろうとミッキーも、ただひたすら、頷き続けて、その感情を肯定するようにしてる。

 

ねねちゃんにとっては、

しまじろうとミッキーの存在は、

はっきりとは具現化できないだろうけれど、

自分の気持ちをわかってくれる存在ということは、認識してるはずだ。

 

パパもママも、忙しくて、

どうしても、ねねちゃんのことを構えない時がある。

 

そんな時、

ねねちゃんは、パパにしまじろうを差し出す。

 

そうしたら、パパは、できる限りの時間を使って、

ねねちゃんとしまじろうの対話をサポートするようにしてる。

それが、わかってるんだと思う。

 

ねねちゃんの中では、

人形がどういう存在なのかは、はっきりとはわからないけれど

パパがいないと、しまじろうが動かないことだけは、はっきりわかってる。

 

つまり、

ねねちゃんは、嘘の中で遊んでいる。

 

今日も、パパとママが、ご飯を口に運んでも、

全然食べないくらいに泣いていたから

ミッキーが登場して、小さな手でスプーンを持って、

 

「ねねちゃん、どうぞ」って、食べさせたら

すぐに、パクパク食べ始める。

 

そして、しまじろうもおいでと、呼び始める。

しまじろうは、お水担当で、

ねねちゃんの口にお水を運ぶと、ゴクゴク飲む。

 

お腹がいっぱいになったら、

ミッキーも食べて と、ミッキーにスプーンを差し出すから

ミッキーも、美味しそうに食べたフリをする。

それがフリだということも、ねねちゃんはきっとわかってる。

 


そんなねねちゃんが、最近、

ぬいぐるみの扱いが、少しだけ変わった。

 

今までは、パパが動かさないと動かないんだけれど、

最近、少しだけ、ミッキーの役割をしてみたりするようになった。

 

ほんと、一瞬。

ミッキーのぬいぐるみを、自分で動かしてみている。

そして、思うようにいかないのか、

パパに「はい」と、渡す。

 

 

でも、

この一瞬が、大事。

嘘の中で、遊べている証拠だと思う。

 

本当の役者さんには、おこがましい限りだけれど

短い期間だけでも、人形劇に関わることができて、本当によかった。

 

うちには、

パパとママしか、大人はいないけれど

人形を使うことで、友達が二人増えているのに、近い状況が生まれていると思う。

 

これも、今だけの本の短い間だけれど、

その、短い間のためだけの価値だとしても

 

僕は、人生の中で、

人形劇に関わらせていただけて、本当に幸せだと思う。