ピタゴラスイッチと 毎日が宝さがし

夫婦での会話を、キャッチボールに例える場合がある。

 

問題提起に対して、そのアンサーがあって

それに対して、また会話が深まっていって。

 

 

「夫婦や、家族の会話がなくて・・」

という話をまれに聞くけれど、

それって、そもそものボールがないということなのかな。

 

わが家は、「会話がない」ということが、考えられない。

ねねちゃんも、起きていて、一人で何かに集中している以外は、だいたい何かを主張してる。

 

24時間同じ空間にいたとしても、何か新しいことを話してる。

 

 

例えば、

  • ミッキーマウスの顔は、時代によって少しずつ変化してるよね
  • 今の人、けっこう大きめな子どもを抱っこしてたね
  • 韓国ドラマの展開は、こうでこうで・・
  • ニュースで見たけど、こういう事件増えてきそうだよね。
  • セミナーのラジオを聴いていて、めちゃめちゃ感動したんだけど、ああで、こうで

とか。

 

ついさっきは、

  • どうも、玄関から生ゴミのような匂いがするけど、原因はなんだろう
  • ねねちゃんが通っている幼児教育のこの人も、この教育を受けていたんだって、すごいよね

的な話だった。

 

 

実はわが家は、会話をあまりキャッチボールしていないのかもしれない。

「こう返して欲しい」という感覚が、あまりない。

もちろん、想定をしていたことが返って来なかったりすると、ぼくが主に拗ねることはあるけれど。

 

 

 

わが家の会話は、

ピタゴラスイッチ的な感じかもしれない。

 

過程はどうでもいいし、意外な方向性に行くのも、あり。

でも、結果としては、この会話のボールをつかって、この旗をピョコンって立てたい。

みたいな。

 

 

どこに着地するか、ということは、だいたいの共通認識としてあると思う。

 

 

早く答えを出したい時は、「まぁ、なんだかんだで、こうだよね」と、

突然、旗を立てることもあるけれど

 

何気ない会話をしながら、ボールがあらぬ方向に飛んでいっても

まぁ、それはそれ。

 

結果的に、共通の目的が確認できれば、それでいい。

仮に、共通じゃなかったとしても、

「そうか、そのルートを通って、その旗を立てたかったのか」と

オウンゴールをしても、問題ない。

 

過程で、拗ねたり口論になったりすることはあるけれど

それがあるからこその、ピタゴラスイッチだと思う。

 

 

つい最近も、ぼくが2回くらい勝手に拗ねた。

 

パパ 「最近、仕事がこういう感じに回ってきて、なんか一生懸命作ってきた大きな歯車が、回ってきた気がする」

ママ 「・・・・・まぁ、なんか大きな水車を作ってるんだなぁ〜とは、感じてたけれど、みんな何に使う水車なのか、わからないよね(笑)

わたしの生活に、それって、関係あるの? って、思ってるよね」

 

 

なるほど・・と、思った。

ぼくが、一生懸命、夢中で、「みんなの役に立つはず」と思って作っていたとしても

それを表現していなかったら、山の上で村のために何かしてる、変人のおじさんだよね・・・と。

拗ねるを通り越して、的確だなと笑ってしまった。

 

 

もう一回は、

パパ 「今さ、こういうことに取り組んでてさ」

ママ 「・・・・それって、3ヶ月前くらいから言ってることと、変わってないよね」

パパ 「う・・・・・」

 

 

わが家は、そんな感じ。

色々と、飽きない。

 

 

そうそう、今日はこんなことがあった。

ママとねねちゃんが出かけた後、洗面所で歯磨きをしようと思ったら・・・・

 

 

歯磨き粉の、キャップが閉まっていない。

 

 

キャップはどこだろう?

周りを見渡しても、キャップは見当たらない。

 

 

そこで、ママの思考回路を追跡する。

 

ここに歯磨き粉の本体があるのに、キャップがないということは

急いで歯磨き粉をつけて、片手にキャップを持ったままどこかに移動したはず・・

ということは・・・・・・・

 

 

と、探して行くと

キッチンの片隅に落ちていた。

 

こんなことは、毎日のようにある。

毎日は言い過ぎたか、1週間に2回はある。

 

ママの思考回路を追跡して想像して、

「ここにあるはず」と思って探して行くのは

宝探しみたいで、意外と楽しい。

 

 

意見や考え方が違うからこそ

毎日が楽しいのかもしれないよね。